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黄金世代列伝
「ガラスの貴公子・三杉淳」その1 」


三杉淳は日本サッカー界の将来を担う逸材として、小学生の頃より期待されていた選手であった。

大人をも驚愕させる華麗なるテクニックと、老成されたかのような冷静な戦術眼、キャプテンとしての統率力、
どれをとっても非の打ちようがない選手であった。

ただひとつ、先天的な心臓病を持つことを除いては――



生まれついての心臓病を克服するために彼はサッカーを始めた。

「当初はリハビリの一環としてしか思っていなかった」と、後に彼は語っている。

しかし、皮肉にも、彼は誰よりもサッカーの才能に恵まれていたのである。
そして、誰よりもサッカーが好きになった。

「最初に憧れたのはヨハン=クライフだった」

ある年のクリスマスプレゼントに、彼はワールドカップの映像集を求めたという。
そこに映っていたヨハン=クライフの変幻自在のプレイは彼を魅了した。
それまで特に意識もせず10番を付けてプレイしていた彼は、次の日から監督にクライフの背番号である14番を強く求めた。

クライフのテクニックはいうまでもなく、全力で駆け回りポジションを目まぐるしく変えるオランダのトータルフットボールが、
心臓病で満足に走れない彼に羨望を与えたのは想像に難くない。
あのように自由に走り回れたら――これが三杉淳の原点であったかもしれない。

しかしながら、テクニックは誰もが認めるものの、ハンデを抱えた三杉をサッカー部の監督は使おうとせず
(いや、怖くて使えなかったというのが本音だろう)、彼は誰よりも華麗なテクニックを持ちながらも、
小学五年までに目立った活躍を見せていない。


若林源三率いる修哲小が全試合無失点で全国優勝したのを、彼はどういう思いで見ていたであろうか
(余談であるが、後に黄金世代と呼ばれるこの年代の選手たちは、どういうわけか若林以外、六年になるまでにたいした活躍を見せていない。
大空翼に関してはサッカー部の存在しない小学校に在籍していたということが証明されているが、他の選手たちについては、
レギュラー入りをした選手さえ少ないことから、おそらく強い個性が邪魔をしたのではないかという説が有力である。
凡人である上級生たちが、天才の下級生たちに嫉妬するのは当然であろう)。


最高学年になり、身体能力が向上すると共に、三杉は三○分限定でのプレイを認められた。
小学生離れした華麗なテクニックはすぐに評判となり、サッカー部の監督は

「どうして彼をスタメンで使わないのか」というスポーツ記者たちの質問に辟易したという。

こういうとき、当時の監督は決まってこう答えたという。
「ダイヤモンドの原石をこんなところで壊すわけにはいかない」
しかし、この言葉の裏に三杉の身体的ハンデの気配を感じ取っていた記者は皆無であっただろう。


三杉は小学校生活最後の学年で、忘れられない対決をする。
のちに何度も比較されることになる大空翼との対戦である。
当時、三杉は選抜チームの武蔵FCに所属し、全国少年サッカー大会に出場していた。
一〇〇〇人から選抜されたという武蔵FCにおいてさえ、彼の実力は卓越しており、すぐにキャプテンとして選出された。

翼と三杉の対決は準決勝の場においてであった。
それまで三杉は温存され、わずかしか華麗なるテクニックを披露することはなかったが、
天才は天才を知るのか、この試合で三杉は初めてフルタイム出場することを決意した。


この戦いにおいて、前半、三杉淳は大空翼を圧倒した。
華麗なるテクニックの前に大空翼は意気消沈したという。

三杉淳は大空翼に初めて挫折を感じさせた選手と言われている
(ただし、このエピソードについては翼を擁護する評論家もいる。
翼はこのとき当時武蔵FCのマネージャーを務め、後に三杉夫人となった青葉弥生から、三杉の心臓病について事前に知らされ、精神的に動揺していたという説があり、それさえなければ、相手が強ければ強いほど燃える翼だけに、
三杉と互角の勝負をしたという主張である。
青葉弥生は翼と一時期同級生であったことから、この説は翼びいきの評論家の間で根強く、
中には三杉による謀略という説を唱える者もいる。
残念ながら、真実は双方が語らないため闇の中である)。



後半になり、翼が若林の激を受け立ち直ったことから、徐々に武蔵FCは追い込まれ、さらに三杉の心臓が悲鳴を上げたことから、結果、試合には敗れた。

この試合で三杉は心臓病であることを皆に告白した。
アイドル並のルックスからファンクラブまで結成された彼が、泥だらけになりながらもひたむきにボールを追いかける姿にファンならずとも涙したという。

ガラスの貴公子――誰が読んだか、才能や美貌に恵まれながらもハンデを負った彼に、この日からこのような異名が付けられた。

この試合の勝者は南葛であったが、前述した内容および三杉の身体的ハンデからも、翼と三杉という個人対決においてどちらが勝者であったかは評価が分かれている。


なお、これ以降、ふたりの対決は後のワールドカップまで待たねばならない。





その2へと続く


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